桜川 夏

白雪姫は目を覚まさない



 ああ、どうやらぼくはきみなしでは生きていけないようだ。
 どうか目を覚ましておくれ。
 愛しい白雪姫。

 王子はガラスの棺に眠る姫の、血のように赤い唇にくちづけをした。
 雪のように白い肌にはぬくもりが。
 黒檀のごときつややかな髪と同じ色をした、長いまつげの奥から瞳があらわれる。

 ことはなかった。


「どうしてだ、どうして白雪姫は目を覚まさない?」
 七つ向こうの青い山から城に帰るなり、王子はそう言いながら何度も白雪姫の眠る棺をのぞきこんだ。小姓たちが運ぶ途中、石につまづいてうっかり棺を落としたこともあったが、リンゴのかけらを吐きだした白雪姫は、目を覚まさなかった。
 小姓たちにさらに命じて、棺を叩いたり揺すったりしても目覚める気配はまるでない。棺の覆いを開けて、くちづけをするものの、姫が王子を見つめることはない。
 それでもあきらめきれない王子は、三日三晩、同じことを繰り返した。
 おかしい。梨の花の魔女の予言ではたしかに「王子のキスで白雪姫は目を覚ます」と出ていた。魔女の予言はよく当たると有名で、王国で知らない者はいないほどだ。どこかにいるだろう美しい姫君の居場所を占わせ、出てきたのが七つ向こうの山奥に住む白雪姫のことだった。
 なるほど。予言どおり、まれに見る美しさを持つ姫君である。ひと目で王子は好きになり、どうしても結婚したくなった。
 その眠りの姫君にはある魔女の呪いがかけられており、それを解くのが姫を愛した王子のキスなのである。
 三日三晩、眠り続ける白雪姫。王子は思った。
 愛し方が足りないのかもしれないと。
 そこで今度は小間使いたちを呼び出して、たくさんのドレスを縫わせた。宝石商も呼び、光り輝く装飾品も用意する。それだけではさみしかろうと、王国で流行している珍しい動物たちをかごに入れて連れてきた。
 その支度に四日四晩かかり、賑やかな宴会を開いたが、棺の白雪姫は目を覚ますことはなかった。


 梨の花の魔女の予言が外れたのかもしれないと、思った王子は魔女を城に呼び寄せた。魔女は王族たちには、高価な宝石がないと謁見してくれないことで有名だった。仕方なく王子は白雪姫のために用意した腕輪のひとつをやることにした。
 透明な青い輝きを持つ腕輪をさすりながら、梨の花の魔女は妖艶な笑みを浮かべる。
「わたしの予言は外れませんわよ。だって、銀の水蛇の使いが教えてくれたんですもの」
「しかしな、ぼくが何度もキスをしても、姫は目を覚まさないんだぞ」
「あらあ? それは不思議ですわねえ。お姫さまのごきげんが悪いんじゃあございませんこと?」
 そして魔女はからからと笑う。
 腹立たしくなった王子はさらに問い詰めようとしたが、呪文を唱えた魔女は煙となってたちまち消えてしまう。
 悔しいが、王子は魔女にかなわなかった。たとえ嘘の予言を告げられたとしても、王家が彼女を頼りきっている以上、邪険に扱えない。機嫌をそこねさせると呪術の報復が恐ろしいのもある。
 それでもあきらめきれない王子は、また小姓たちに棺を叩かせた。何度も叩くものだから、小姓たちの拳が赤く腫れ上がって、血がにじむほどである。
「ぐずぐずするな。早く目を覚めさせないと、本当に死んでしまうだろうが」
 耐え切れなくなったのか、小姓頭が王子の前でひざまずき言った。
「お願いします、わが主。わたくしどもは幾晩も姫君の棺を叩き、揺すり、眠ることも許されません。このままではみな、疲労しきって倒れてしまいます」
「それがどうした。姫の命のほうが大切に決まってるだろう。愚問もいいところだ」
「ですが」
「ええい、くどい!」
 王子は頭ではわかっていたが、小姓頭ごときに忠告されたのが腹立たしくてたまらない。
 あんなやつ、すぐに城から追い出してやろうと、父王にかけあってみたが、まるで相手にされない。
「小姓頭の言うとおりだ。目を覚まさない姫君のことなど、あきらめてしまえ。おまえは将来、国を束ねなくてはならない者。見目麗しいだけの眠り姫に心を奪われている場合か」
「ですが、父上……」
「まだ不服があるとでもいうのか?」
「いえ、その……」
「それほどまでに白雪姫を愛しているというのならば、余を納得させるだけのことをしておくのだったな。あれではただのお遊びと変わらんぞ」
 王子は何も言えなくなった。父は賢王として他国にも知られているだけあり、だれもから尊敬される存在だ。説教ももっともである。
 だが王子は厳しすぎる父の存在が重くもあった。この調子では結婚相手も父が一方的に決めてしまうだろうし、美しい姫ではなく賢く強い姫を探し出していることも、家臣たちの噂話で知っていた。
 だからせめて将来の妻には、自分が心から愛した姫君を――。
 と思い、梨の花の魔女に頼んで、美しくおしとやかな姫君の居所を探し当ててもらったのだ。
 しかし、目を覚まさない姫など、なんの役に立とうか。
 王子は白雪姫をあきらめるしかなかった。


 王子は白雪姫の棺を七つ向こうの山に運ばせた。未練はあったが、まったく目覚めない姫君に腹立たしくもあり、別れを告げないまま城にもどることにする。
「行くぞ」
「おまちください、わが主」
 小姓頭が王子の前に出、ひざまずき、言った。
「あれほど愛しいのだと、ささやかれた白雪姫にお別れすら告げられないのですか? あれではあまりにも、姫君がお気の毒にございます」
 小姓ごときが、と王子は叱りつける。それでも小姓頭はあきらめない。
「せめてどうか、わたくしたちだけでも、お別れを告げることをお許しいただけないでしょうか。何度も何度も姫君の棺を叩き、揺らしたことを詫びたいのです」
 父王と同じく、いつももっともらしいことを言う小姓頭。好きになれないものの、この件が父の耳に入ったら小言がまっていると思い、「勝手にしろ」と答えてやった。
 少し距離を置いて王子は、白雪姫と別れを告げる小姓たちをながめる。
 連中も心を奪われていたようで、棺の蓋を開けてくちづけをする者までいる。あの小姓頭だった。
 そんな役立たずの姫君など、おまえにやってもいいぞ。
 と、皮肉を口にしようとしたそのとき。
 小姓たちがいっせいに騒ぎ出した。
 王子も唖然とした。
 眠っているはずの白雪姫が、背伸びをしていたからだ。なまめかしいまでに細く白い腕が、小姓頭の首にゆっくりとまわされた。


「まあ、わたしの予言が成就したようですわ。あの小姓頭が、先代王の息子だったなんて驚きでしたけど」
 謁見の間では梨の花の魔女が、王と女王、王子、小姓頭を前にして、下賜されたばかりの赤い指輪を愛でていた。
「うむ……。戦死した亡き兄の息子だったとは。てっきり子が成せないまま先代女王は、僧籍に入られたと思い込んでたのだ」
 叔父である王に、小姓頭は言った。
「はい。わたくしもまさか、王が叔父上だとは想像もしておりませんでした。病死した母の遺言で、この城に奉公することにしたのですし、そんな話を聞いたこともございませんでした」
「あの兄のことだから、おまえの存在は伏せるよう、あらかじめ妻に忠告していたのだろう。お家騒動の火種になりかねんと。ちょうどそのころは隣国と戦争が続いておってな、敵がわに弱味を作りたくなかったのかもしれん」
「ええ、そうだとわたくしも思っております。あの母ならきっとそうでしょうし、たとえ父が名もなき戦士だったろうが、尊敬していたのは今でも変わりありません」
 王は手にしていた杓杖を元小姓頭に渡し、力強く言った。
「おまえのような賢き王子を手に入れた、わが王国はこれからも安泰だ。皆のもの、宴の用意をしろ。あと、白雪姫との婚約の儀もとりおこなうぞ」
 その日から五日五晩、城だけでなく王国中、盛大な祝いの宴に包まれた。
 しかし女王だけはずっと青い顔をしたまま、黙って王の隣にいるだけだった。王子は王子であの生意気な小姓頭が、従兄弟だった事実に腹立たしかったものの、将来の重い責務から逃れられそうで、心が嘘のように軽くなっていた。
 白雪姫は手に入れられなかったが、心の奥から欲しかったものはこれなのかもしれない。
 たとえ父王の本当の息子ではなかったとしても、今となってはそんなことどうでもいい。


 その後王国に誉れ高き王の治世が続き、七つの海を駆け抜ける冒険家が王の従兄弟だという噂が流れるのは、また別の物語。


おわり 2006.10

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※NNR「キスから始まる物語」小説コンテスト応募作品

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